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ニュース&トピックス


● 2023年 09月 15日    お葬式 〜別れの覚悟とその悲しみを癒し〜

 通夜の謂れは、お釈迦様が亡くなったとき、死を悲しむ弟子たちがお釈迦様を偲び、夜通しその教えを語り合ったことに由来するのだそうです。
 私たちにとっては、亡くなられた方との想いで、自分たちに向けてくれたこころに想いをはせ想いをつづり、改めて故人への想いをつなぐ時間なのではないでしょうか。
 お葬式は、家族親戚は勿論、交流のあった方々にとっても別れの覚悟とその悲しみを癒す場でもあるかもしれません。この時この場を通して感情の整理がされていくのでしょう。
 火葬だけで済まされるケースや出棺の前にお香やお花を手向けお別れとし無宗教式での一日だけで済まされるケースなども増えています。
 最近は、どの葬儀社も「火葬式」・「一日葬」・「家族葬」などといった料金プランをメインに打ち出しています。多くの方に見送っていただくか、家族親族だけで見送るのか、また火葬だけで済ますのかは、故人の遺志やご家族それぞれのお考えで良いのでしょう。
 四十九日法要までは慌ただしく過ぎ、百か日、一周忌法要を行い少しは心の整理もつき落ち着いてくるのでしょう。
毎朝仏壇に向かい故人・先祖代々の霊に手を合わせ灯明、香を絶やすことなく見守り過ごします。


● 2023年 06月 30日    こんな謂れや迷信「四十九日法要」

 亡くなられて七日ごとに行う中陰の供養は四十九日で満中陰となり四十九日(満中陰)法要を行いますね。この期間に、死者が次どこに生まれるかを決める四十九日裁判をするのだそうで、七日ごとの七人の裁判官が決まっているそう。
 生まれ変わるところは、前回掲載の六道のいずれかで、生前に善業を行えば天道・人道へ、悪業を行えば他の四つのどれかに。この中陰の供養は、天道(天人の世界)・人道(人間の世界)へと生まれ変われるよう願うものだとか。どうか地獄などへは行かなくて済みますように。
 このような輪廻や前回掲載した六道・六地蔵など、これら習俗・信仰がどうであるかはともかくとして、何より亡き人に心を寄せてお別れをし供養したいものです。供養とは、亡き人へ想いを手向けることにより、自身のこころをも養うことなのだとか。
 こんな迷信めいた話もあるそう。四十九日は三月(みつき)にまたがると良くないので法要の日にちを早めると。「四十九日」=(始終苦日)、「三月」=(身付き)として、「始終苦日が身に付く」からなんだそう。どんなことで、こんな語呂合わせの話が広まるのでしょう。
 中旬以降に亡くなった場合は三月目になります。月末の場合は三月目の中旬になってしまい、どこに行くかまだ決まっていないのに、半月以上も法要を早めることになります。巷には色々な話があるのですね。
 それはさておき、お寺様にご相談し四十九日直近の都合の良い日に行うのが良いのでしょう。もちろんお寺様もそのように話されるでしょう。
記述内容に不備等ございましたらご容赦ください。

「〜想いをはせる 想いをつづる 想いをつなぐ〜」そんな想いを感じていただけるようお手伝いさせていただきます。


● 2023年 06月 08日    六文銭・六道・回忌

 善人は橋を渡ることができ、罪の軽い罪人は浅瀬を、罪の重い罪人は深瀬を渡る。このように、生前の行いにより、それぞれの三つの途(みち)があるので三途の川という。平安時代の末期頃までは歩いて渡ったが、室町時代以降からは船になったのだとか。
 この三途の川の渡し賃が六文銭で、死装束の頭陀袋に一文銭を六枚入れたとする習俗。現在では、六文銭を印刷した紙を棺に入れる。この六文銭は、六地蔵への賽銭、また、六道銭とも呼ぶそう。
 人間が生前の業によって死後に輪廻する、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天界のいわゆる六道で苦しむ死者を、地蔵が救済してくれるとする信仰がおこり、墓地の入口などに六体の地蔵(六地蔵)が祀られるようになった。
 ご存じのように、回忌法要は三・七・十三・十七・・・三十三回忌と、「三」と「七」の命日で営まれる。「三」は「二」を超える意味で、苦とか楽、損とか得などと、二つのどちらかに極端に偏らないようにとする仏教でいう「中道」の教え、「七」は、六道の世界を超えたところに悟りの世界があるとする考え方とされ、この二と六を超えた「三」と「七」が重んじられ回忌法要が営まれるようになったのだとか(諸説があるとのこと)。
 地蔵は、輪廻する六道の苦しみから救い、また、祈願をすればいつでもどこへでも救いの手をさしのべ、苦難から人々を救ってくれる菩薩として親しまれ、広く庶民信仰の対象となっていたのだそう。
記述内容に不備等ございましたらご容赦ください。


● 2023年 05月 05日    周忌・回忌

 一周忌・三回忌・七回忌・十三回忌・十七回忌・二十三回忌・二十七回忌と行い、三十三回忌を弔い上げとし、その年忌法要を終えるのが一般的ですね。
 亡くなった当日が一回忌であり、翌年が二回忌・二年後が三回忌・六年後が七回忌と続き、いわゆる数えで行う。ただ翌年の忌日は亡くなって一年を迎えたというので二回忌とは言わず一周忌とするのだそう。
 卒哭忌(百箇日)・一周忌・三回忌は中国の祭祀が起源とされ日本に入り、その後の年忌は日本独自で追加されたのだとか。
 古来聖徳太子の定めと伝わるところによると(確定的真偽は不明とも)、「志のあるものは平素の供養を怠ってはならないが、続け難いので年忌を定め、追慕の心をもって懇ろに供養する。」と。
 三回忌から三十三回忌まで七回の年忌を行い、三と七の数を累(かさ)ね尽すのだとか。七の数を基数とし、七回忌からの七年目が十三回忌、十七回忌からの七年目が二十三回忌、二十七回忌からの七年目が三十三回忌となったとする考え方であると。
 亡くなられた日から七日ごとに七七日まで行う中陰の法要はインド古来の習俗を起源とするものだとかで、この七の数を基数とする説があるそう。諸説あるようですので、この記述で断定するものではありません。


● 2023年 03月 28日    「御霊前」・「御仏前」?香典袋の表書き

 香典袋の表書きは、通夜・葬儀から四十九日の法要までは「御霊前」と、その後からは「御仏前」となります。
 仏教では、亡くなってから四十九までの間は「霊」として新しい世界に生まれ変わるための準備をしているのだとか。この世でもあの世でもないこの期間のことを中陰といい、四十九日目を以って満中陰となり四十九日法要を行いますね。この中陰満了を以って「霊」から「仏」になると。つまり、四十九日目までは「御霊」であり、満了後は「御仏」に。四十九日法要の次は百か日法要(卒哭忌=そっこくき)となります。
 仏教には人の命を4つの段階に分ける「四有(しう)」という考え方があり、1.命を授かったときを「生有(しょうう)」、2.生まれてから死ぬまでの一生を「本有(ほんう・ほんぬ)」、3.命を終える瞬間を「死有(しう)」、4.死有から生有までのを間を「中有(ちゅうう)」というそうです。4の中有というのがいわゆる中陰のことです。
 浄土真宗では、亡くなるとすぐに「仏」になるとすることから、通夜葬儀から「御仏前」を用います。
 記述内容に不備等ございましたらご容赦ください。詳しくはお寺様などへお尋ねください。


● 2022年 12月 27日    東北ちょっと昔の風習「礼人=れいと」・「舅礼=しゅうどれい」

 1月2日は、新婚夫婦が嫁の実家へ挨拶に行く日。3〜4泊位してくるのだそう。遅くても6日までには嫁ぎ先へ戻るとする地域もあるようです。結婚後3年間続けなければ嫁を取り返されるのだとか。岩手県や山形県の地域にある風習のようです。
 昭和50年代の聞き取り調査でもまだ行われていたようで、礼人や舅礼などと言われています。「しゅうど」は「しゅうと」が訛ったのでしょう。
 土産に持って行くものは、酒を2升樽で2つ、また酒と魚と1臼の量の餅などで、実家では礼人が来ると言って親戚などを招き祝う。
 他には、1月1日に分家が本家へ挨拶に行く「正月礼」、小作人が1月1日に地主のところへ酒を持って挨拶に行く「正月礼」、一人前になった職人さんが1月2日に師匠に酒や魚を贈って礼をする「師匠礼」、また舅礼とともに仲人にも挨拶に行く「仲人礼」、5月5日に新婚夫婦が嫁の実家へ行く「節供礼」といった風習などもあったようです。
 人と人や家と家などの付き合いや礼を大切にし、共に助け合いながら暮らしていた時代の風習なのですね。今でも行われているのでしょうか。宮城県内にもこういった風習があったのか、記録として残されているものを見つけることは出来ませんでした。周知の事実等と相違がございましたらご容赦ください。


● 2022年 10月 20日    櫃とカロート

 櫃(ひつ)とは、被せ蓋の付いた木箱のこと。その昔から現在に至り様々な収納に用いられている。
 脚が付いていないものは倭櫃(わびつ・やまとびつ)と呼ばれ、ご存じのように長持や茶櫃は代表的なもの。この倭櫃に対し4本又は6本の脚が付いたものを唐櫃(からびつ・からうと)といい、宝物や衣服、文書、武具などの収納に用いられてきた。
 また、棺としても用いられたことから、墓石下の遺骨を納める納骨室を、「からうと」から「カロート」と称するようになったと言われている。「からびつ」が訛って、「からうず」・「からうと」・「かろうと」になったとか。


● 2022年 09月 13日    「棺」と「柩」

 「棺」はご遺体を納める木箱を表し、すなわち木棺で、石で造られたものは石棺です。「柩」は、棺にご遺体が納められた状態を表す。
 「久」という字は、身体を起して支ている様子を表し、そして棺(箱・匚)に納められ、これが「柩」という字なのだそうです。手足の関節を曲げた状態で埋葬する「屈葬(くっそう)」という古代からの埋葬方法があり、「身体を起し背中を丸めてうずくまるような姿勢=久」で埋葬されました。土葬の時代には、坐った格好で膝を両手で抱えた姿勢で座棺(棺桶)に納めました。
 現在は寝かせて納めるので寝棺となり、体全体が伸びた状態で埋葬するので、前述の屈葬に対して伸展葬というそうです。
 ご遺体を棺に納めることを「納棺の儀」などと言い、火葬場までお乗せする車は「霊柩車」と言いますね。漢字の由来やら、こんな事のようです。


● 2022年 06月 27日    「七夕」と「七日盆」

 「七夕」は五節句のひとつですね。ご存じのように、本来は旧暦7月7日の行事です。現在は新暦7月又は月遅れ(新暦8月)で行なわれているのが一般的です。
 お盆との関わりもあります。盆の中心の日は15日ですが、地方によっては七日を始まりとする「七日盆」の風習があります。墓掃除や仏壇の掃除をして盆の準備を始めます。関東周辺では麦わらや真菰で、霊を迎える七夕馬を作り盆の準備を始め、新盆の家ではこの日に盆棚を飾るところもあるそうです。キュウリ、ナスで馬、牛を作る風習は全国に見られます。
 七日の夕方の行事から転じて「七夕(しちせき)」に、またタナバタのタナは祭壇である棚、ハタは神を迎える依代(よりしろ)としての旗からきているとも。
 13日から15日(16日)までが盆として一般的になり、また星祭りとして普及したことが、現在の七夕祭りとして独立したとも考えられているそうです。
 ご先祖様代々受け継がれた命があっての今の私たちです。ご先祖様に想いをはせてみましょう。
「〜想いをはせる 想いをつづる 想いをつなぐ〜」 


● 2022年 05月 13日    ある僧侶の話

「人間に生まるること難し やがて死すべきものの いま生命あるは有難し」
これは、お釈迦さまの教えだそうです。
以下は、ある僧侶が話されていたものです。
 「死」はこの世に生を享受した瞬間より誰しも向き合うべき大きな宿命、昨日あったいのちが今日もあること、それは何よりも奇跡的で有り難いのです。そこに思いが及べば、そのいのちを繋ぎ続けてきた数多くの先祖へ感謝の念が芽生えてきます。
そして、こんな話が続きます。
 生まれつき心臓に疾患を持つA君は、訳あってお祖母ちゃんの手で育てられ、大学にまで進んだのですが、度重なる入退院の繰り返しで已むなく退学しました。そして、地域の市役所を受験し採用されましたが入退院を繰り返していました。
 病院から心臓の弁の取替え手術の話が持ち上がりました。お祖母ちゃんは、A君が幼い頃から幾度もの手術をしているので、何か別の方法をと難色を示したそうですが、A君は「やって欲しい」と伝えたそうです。手術は成功しました。
 間もなくしてからのこと、A君が脳内出血を発症し緊急手術をするという急報です。医師の話では半身の障害、言語にも障害を来すというものでした。自呼吸ができるようになったものの言葉を発することはできないので、動く左手でスマホを操作し、画面を通じて意志の疎通をはかっていたお祖母ちゃんとA君でした。そんな中、程なくしてA君は他界したのです。
 お祖母ちゃんは告別式の挨拶で「皆さんの温かい心に触れ、支えられてきた優しい子、私はあの子の祖母であることを誇りに思い、寂しくてたまりませんがしっかり休んでくれるように願って、大切な孫を私の宝物を見送ります」と、A君との別れをしっかり話しました。29年を生ききったA君、育てきったお祖母ちゃんの悔いも迷いもない別れを目の当たりにしました。という話です。
 お二人の想いはつながっているのでしょう。「〜想いをはせる 想いをつづる 想いをつなぐ〜」きっと、こんな風に。


● 2022年 03月 03日    コロナ禍にあってU

 先日こんなお別れをされた方がいらっしゃいました。故人は90代半ばの女性、コロナ禍もあって故人の子供さん家族だけの12〜13人でのお別れでした。菩提寺の都合により4日目・5日目での通夜・葬儀となり、亡くなられてからのこの5日間は、悲しみの中にあっても故人の思い出に話が尽きることなく、旅支度などの謂れなども教えていただき、想いをはせることが出来たとおっしゃっておられました。
 祭壇装飾は、故人が大好きだったお花で飾られ、大変喜んでおられました。通夜を終えての食事は、故人が大好きだったというピザをお孫さんたちが宅配で手配し、おばあちゃんは肉も大好きだったね、鰻も大好きだったねと、お孫さんが持ってきた思い出の写真を見ながら、笑顔もある中で偲ぶことが出来たということでした。棺の上には、晩年愛用されていた服と帽子、そして大好きだったという支〇焼を、お孫さんが買ってきてお供えされていました。今生の別れ出棺に際しては、お孫さんの提案ということでしたが、曾孫さんたちも含め全員が故人へのお別れの手紙をお入れし、好きだったお花でいっぱいにしてさしあげました。もちろん、支〇焼もお入れしました。
 想いをはせ、お別れの手紙にこみ上げる想いをつづり、少しは悲しみのこころが癒され別れの覚悟ができ、あらためて想いをつなぐことができたということなのでしょうか。特段のことがなければ、2日目・3日目での通夜・葬儀が一般的ですが、ご遺族にとっては、ただただ慌ただしく3日間が過ぎてしまいますね。葬儀が5日目になったことで、ゆっくりと亡き母を偲び送ることが出来て、悲しいことではありますが、清々しい気持ちになれたと話されていました。


● 2022年 03月 02日    コロナ禍にあって

 葬儀業に携わっていると、仏教に関する記事が気になりますが、あるご寺院の僧侶の話の記事を以下に紹介したいと思います。
「人が亡くなると、享年あるいは行年として年齢を数えますが、大切なことは生きたいのちの長さではなく、故人がどのように生き、どのように死にゆかれたかを、家族や関係のある人々が思いやることではないでしょうか。
 現代は、死にゆく人の枕元に寄り添うことが少なくなりましたが、それでも死にゆく人の呼吸、息づかいを最期まで看取ることは、その人のいのちの尊厳を護るギリギリのところでもあり、そこに立ち会った人たちのいのちにも光明がさす、得がたい貴重な時でもあると思います。」という記事です。読みやすいよう2〜3カ所の表記を変えてあります。
 コロナ禍もあってか最近は、火葬だけで済まされるケースや出棺の前にお香やお花を手向けお別れとし無宗教式で一日だけで済まされるケースなども増えています。
 お別れの仕方はご家族それぞれであり、そのご意向に沿ってお手伝いをさせていただくのが葬儀社としての務めですが、故人の好きだった食べ物やお花をお供えするなど、何かしてあげたいことはございませんかとお声掛けをさせていただいております。どんな小さなことでも、亡き人への心づくしとして形にすることが出来たならば、良いお別れが出来たと思えるのではないでしょうか。
 「〜想いをはせる 想いをつづる 想いをつなぐ〜」こんな風に感じていただけるように。
 


● 2021年 03月 05日    最近見かける広告が気になって調べてみた(1月22日掲載の続き)

 「全国平均約120万円の一般的な葬儀が10万円台で出来るの?」、と勘違いしそうな「〇〇な・・・・」などといったネーミングでの、テレビコマーシャルやインターネット広告など最近頻繁に見かけます。自社では施工を行わず提携葬儀社へ仲介をする業者でしょうか。 
 この「〇〇な・・・・」の料金は10万円台で、所定の場所へご安置し寺院等の関与もなくその後火葬を行うだけで、火葬場費用は別途必要です。全国平均約120万円の根拠は、財団法人日本消費者協会の「葬儀についてのアンケート調査」データのようです。これには、式場使用料や祭壇装飾、通夜・法要等飲食接待、お布施等の項目も含まれており、この全国平均約120万円の費用を見直し低価格にしました如く、約120万円と火葬しか行わない「〇〇な・・・・」10万円台を比較するかのような広告内容が気になりました。
 財団法人日本消費者協会の調査について調べてみると、同協会の全国の消費生活モニターと協会会員に対して行われているようで、回答者数は2010年が294人、2014年が370人、2016年が491人との記述を見つけました。このあまりの少なさには驚きました。ちなみに、住民基本台帳に基づく2019年全国死亡者数は約138万人です。そして、アンケート結果には次のような注釈が付されています。「ここに掲載した金額は、葬儀の規模や会葬者の人数など、個々の詳細を把握したうえでのものではない。また、限られたデータでの単純な平均額なので、数値のみにとらわれることのないように留意してほしい。また、地域ごとの回答者数が少なく、地域の特性を反映しているとは言いがたいので、参考値として見ていただきたい」と。この注釈の表現どのように感じられるでしょう。
 インターネット上では、仲介等をするだけの葬儀社らしきサイトも見かけます。不透明な葬儀料金を明瞭にしました如くの宣伝文句なども見かけますが、未だそんな葬儀社があることが信じられませんし、そのような宣伝文句を使用する業者もどうなのかなと思います。お住いの地元の葬儀社へ直接、ご相談やご依頼されるのが安心かと。なぜなら地元の葬儀社は地域の方々のご支持で成り立っているからです。


● 2021年 01月 22日    最近見かける広告が気になって調べてみた、消費者庁のリリース記事

 「比較広告に関する景品表示法上の考え方」(公正取引委員会)によれば、@比較の内容が客観的に実証されていること。A実証されている数値や事実を正確かつ適正に引用すること。B比較の方法が公正であること。Bについては、「社会通念上又は取引通念上、同等のものと認識されていないものと比較し、あたかも同等のものとの比較であるかのように表示する場合には、不当表示となるおそれがある」とされており、比較する基準が同一のものでない場合には、景品表示法上問題となるおそれがあるものである。 
 葬儀事業者が自社の葬儀費用と、財団法人日本消費者協会の「葬儀についてのアンケート調査」による全国平均費用を「他社の葬儀費用」として引用し比較する広告は、「一般消費者が葬儀事業者へ支払う費用」という同一の基準によって比較しているとは認められず(「認められず」とする理由の実例部分については長文であり、簡略抜粋することでその内容を誤解なく記述することが難しいため省略しました)、自社の葬儀費用は、他社の「葬儀費用に比べて割安と見せかけるおそれのあるものであり、前記の@〜Bのとおり、景品表示法違反につながるおそれのあるものである。
 以上、表題のリリース記事から抜粋したものです。掲載の都合上、要旨・文脈等崩れないよう注意を払い抜粋し、文章を整えるために、記述内容が変わらぬよう一部表現の書き換えを行い整えました。ご理解しづらい箇所等ございましたら、どうぞご容赦ください。公正取引委員会がこの見解に基づく注意をした実例があるということです。 
 最近は、自社以外の費用と比較するような広告等よく見かけますが、比較基準が同一のものでなけらばならないということですね。出典根拠とその内訳が同等程度で明確であり、参考までにとするような引用等であれば問題はなさそうに思えるでしょうか。当社の広告においては、当社以外の費用を引用することはありませんが、誤解をいただかないよう気を付けたいものです。


● 2020年 11月 27日    最近見かけた、ある経典の教えについての記事(抜粋)です。

「如来の衣とは柔和忍辱(にゅうわにんにく)の心是(こ)れなり」
 仏さまの衣服とは、優しく穏やかで、辛いことにもことさらに動じずに耐え忍ぶ心であると説いております。やたらと刺々しく、すぐに怒る。優しさのない冷たい態度。そのような方が、いくら素敵な洋服を着ていても、そこに美しさはありませんし、人に好かれることもないでしょう。また、別の経典ではこの「服」について、「恥を恥と知るという服は諸々の飾りの中でもっとも美しい」とあります。
 どんなにお洒落をして着飾っていても、自分勝手な振る舞いをして、慎み深さや礼儀正しさを欠いていては、本当の美しさはないのかもしれません。むしろ、人としての素朴さや謙虚さに、美しさや清々しさを感じ、そこに私たちは心惹かれ、人としてそのようになりたいと思うものです。
 つい自分基準の振る舞いをしてしまいがちな私たちですが、今一度自分の意識を考えたいものです。

〜誠意を尽くし礼を以って表す「感謝」・心を配りいたわりのこころでつたう「感動」・想いを感じおもいやりのこころで応える「共感」〜 私たちくさかやは、この「共感・感動・感謝」を行動のスローガンとしておりますが、つい自分基準の振る舞いや対応をしていないか、この記事を読んでドキッとさせられた思いです。


● 2020年 10月 16日    溢れた想い

 あるお寺の副住職の方が書かれた記事を紹介したいと思います。
 この副住職さん、本山での修行を終え実家のお寺に戻りましたが、サラリーマンになるつもりで会社勤めをしていたそうです。その仕事とは葬儀社だったそうで、ご自分が葬儀を担当したときの話として次のようなことを書かれていました。
 亡くなられた五十代のご主人、四十代ほどの奥様、二十代の息子さんの三人家族。奥様が私に言いました。「お金を掛けられないから、誰も呼ばずに家族葬でやります」と。特に祭壇も飾らずお坊さんも呼ばず、安置室でお預かりし、火葬予約の時間に合わせ出棺をし火葬するだけのプランになりました。
 この時の私は心配なことがありました。携帯ばかりいじっていて、亡くなった父親の顔を見ようともせず、母親が話し掛けても返事もせず、全身で「面白くない」という態度をしていた息子さんのことです。
 いよいよ出棺時刻になった時です。誰も呼ばないとは言っていたのですが、親族が数人来られていました。その親族が奥様に詰め寄ったのです。「祭壇も飾らん、花も飾らん。その上お経も無しか」と。奥様が慌てた表情で私の所へ来て言いました。「今からお経、何とかなりますか?」。
 出棺直前ですからどうにもなりません。そんなお坊さんいるわけないと思った時、ふと気がつきました。そして奥様に、「あの、実は私は寺の息子で副住職なんですが、スーツのままでよかったら私がお経をお唱えしましょうか」と尋ねたのです。奥様が「それってタダですか?」って言うので、「もちろんです」と答え、焼香の準備をしてお経をあげさせていただきました。
 すると、携帯ばかりいじって、まるで他人事のような態度でいた息子さんが、声をあげて泣き出したのです。何かご事情があったのかは伺い知れません。でも、お経の声が響く中、きっと息子さんの秘めていた想いが溢れたのだと思います。
 記事は抜粋しました。亡くなられた方はご主人として、また父親として、涙を流された息子さんの姿に、なにか安心して旅立たれたように感じました。


● 2020年 09月 16日    「安心安全なご葬儀のために」新型コロナウイルス感染予防対策について

〇手指消毒、マスクの着用
・入館の際には、手指消毒及びマスク着用をお願いしております。
・弊社施行スタッフは、マスクを着用し適宜手指消毒を行います。供花などの納入業者にもマスク着用を徹底しております。

〇館内の対応
・不特定の方が手を触れる共有部分の消毒を適宜行っております。入口のほか、館内にも手指消毒剤を配置しております。
・施設の換気を常時行っております。

〇式への対応
・参列者席は十分な間隔を確保しております。
・会食を行う場合、対面の向い合う椅子の距離は2mを確保しております。
・飲食のサービススタッフは、マスク及び使い捨て手袋を着用いたします。
・大皿形式の料理提供は中止させていただいております。

このほか、葬儀業「新型コロナウイルス感染拡大防止ガイドライン」による施行、また、スタッフは「新しい生活様式」実践に取り組んでおります。


● 2020年 08月 06日    お盆に桃はお供えしない?

 こんな記述を見かけました。つぶれたような扁平な形をした中国原産の蟠桃(ばんとう)という桃があります。西遊記では孫悟空が食べた不老不死になる桃とされていて、天界の尊い食べ物であると。また、桃の節句や桃太郎の鬼退治の話など、桃は邪気を払うと。そして、お盆の精霊棚や施食会(施餓鬼会とも)に、どうぞ食べてくださいと桃をお供えしても、亡者や餓鬼、また有縁無縁すべての精霊は近寄ることも出来ず供養にならないので、お盆に桃はお供えしない。また、一般家庭ではお盆のときだけはお供えしない、又は盆棚でなく仏壇のご先祖様だけにお供えするのは構わないとする記述です。
 この桃のお供えについては、あくまでも記述の紹介です。この記述をもって断定したりするものではございません。気になる方は、お寺さんにお尋ねしてみるのもよろしいのでしょうか。
 桃の原産地は中国だといわれていて、2500年も前から栽培されていたそうで、果肉の表面がたくさんの毛で覆われていて毛毛(もも)とも呼ばれていたとも。 


● 2020年 06月 05日    コロナ禍での葬儀

 先日こんなお別れをされた方がいらっしゃいました。故人は90代半ばの女性、コロナ禍もあって故人の子供さん家族だけの12〜13人でのお別れでした。菩提寺の都合により4日目・5日目での通夜・葬儀となり、亡くなられてからの3日間は、悲しみの中にあっても故人の思い出に話が尽きることなく、旅支度などの謂れなども教えていただき、想いをはせることが出来たとおっしゃっておられました。
 祭壇のお花は、故人が大好きだったひまわりで飾ってほしいということで、時期的なこともありましたが何とか調達することが出来、大変喜んでいただきました。通夜を終えての食事は、故人が大好きだったというピザを、お孫さんたちが宅配で手配し、おばあちゃんは肉も大好きだったね、鰻も大好きだったねと、お孫さんが持ってきた思い出の写真を見ながら、笑顔もある中で偲ぶことが出来たということでした。棺の上には、晩年愛用していた服と帽子、そして大好きだったという支〇焼を、お孫さんが買ってきてお供えされていました。今生の別れ出棺に際しては、お孫さんの提案ということでしたが、曾孫さんたちも含めて全員が故人へのお別れの手紙をお入れし、ひまわりの花でいっぱいにしてさしあげました。もちろん、支〇焼もお入れしました。
 5日目の葬儀になってゆっくりお別れが出来たこと、ひまわりが調達できる時期に旅立つことも、おばあちゃんがそうしたんだねと、お孫さんがおっしゃっていたとのことでした。
 想いをはせ、お別れの手紙にこみ上げる想いをつづり、少しは悲しみのこころが癒され別れの覚悟ができ、あらためて想いをつなぐことができたということなのでしょうか。特段のことがなければ、2日目・3日目での通夜・葬儀が一般的ですが、ご遺族にとっては、ただただ慌ただしく3日間が過ぎてしまいますね。


● 2020年 05月 12日    枕経の風習

 枕経とは、死亡の知らせを受けた菩提寺の僧侶が死者のもとへ赴き、その枕元で経を読むこと。この枕経について、次のような風習の記述を見かけました。
 死期が目前となって床に臥している人の所に出向き、死の恐怖とあの世に行かねばならない不安を少しでも和らげ安心を得られるように、縁のあった宗教者を招いて教えを聞くことです。生きた人の心を和らげることこそが本来の姿といえます。昔は、その床のある部屋に阿弥陀仏の掛軸を掛け、その絵仏の手に付いている五色の糸を死期が近づいた人の手に持たせて極楽往生を願う風習もありました。この記述は、近畿圏のお寺のご住職が記されていたものを抜粋させていただきました。
 地域によっては、このような風習があったのですね。現在では亡くなってから連絡を受け赴き、故人のもとで読経をし、その後葬儀の打ち合わせを行います。


● 2020年 04月 08日    往生

 往生とは、この世での命を終えた後、他の世界に往き生まれること。通常は極楽浄土又は他の浄土に生を受けることと。
 悟りを開いた仏が住む清浄な所を清浄国土、略して浄土といい、したがって浄土は仏の数だけあるのだとか。浄土の中でもっとも有名なのが阿弥陀様の極楽浄土。ほかには薬師如来の浄瑠璃浄土、お釈迦様の霊山浄土、観音様の補陀落(ふだらく)浄土などがあるそうです。仏教などに関する記述などからの抜粋です。
 ちなみに、この世を去ること命をおえること。そこから転じて、あきらめる、おとなしくなる、困り果てるなどの意味となって、その場になってもなかなか諦めがつかないことを、往生ぎわが悪いなどと使われるようになったのだそう。
 哲学者・教育者として著名な方が、自身の宗教観として一番しっくりするのは、「念々死を覚悟してはじめて真の生となる」の一語であると。そして、色紙などに何か書くことを求められると、最晩年には「死を覚悟してこの一日を生きん」の一語を書いたのだそうです。凡人にとっては容易な心境ではありませんが、極楽浄土に往生したいと願うものです。


● 2020年 03月 09日    ある僧侶の方が紹介していた話

〈一部抜粋しております。〉
 まだ赤ん坊というほどの我が幼子の棺の中に、若い両親は自分たちの写真と観音さまの御影、そして手紙を書いて入れたのだそうです。「観音さまお願いです。この子はとても小さな子です。もしも途中で道に迷っておりましたら、どうかこの子の手をつないでやってください。お父さんとお母さんの写真を入れてあげるから怖がらずに行くんだよ。お父さんとお母さんと観音さまがついているからちっとも怖くないからね」と。
 そして、我が幼子の旅立ちに際し両親が観音さまに託した言葉が、「念々従心起、念々不離心」(念ずれば念ずるほど観音さまが心より起こり、念ずれば念ずるほど観音さまが心を離れない)という『延命十句観音経』の言葉でした。


● 2020年 01月 14日    「幸せのはひふへほ」 

 「この世に生を受けるもの多けれど、人間として生を受けるということはなかなか稀なることであります。そして、その生命には限りがあります。今日も日暮らしができていること、これほど有難いことはありません。」これは、お釈迦様の教えをある僧侶が分かりやすく紹介していたものです(意味が変わらない程度で読みやすいよう一部を書き換えていますのでご了承ください)。そして、その当時17歳の女子高校生が新聞に投稿した「幸せのはひふへほ」(出典は不明のようです)という記事を紹介しています。
 〜「幸せのはひふへほ」 は...半分でいい ひ...人並みでいい ふ...普通でいい へ...平凡でいい ほ...ほんの少しでいい  幸せって人それぞれです。私は「今生きている」それだけで幸せです。お父さんお母さん私を産んでくれて育ててくれてありがとう。〜
 この僧侶は、彼女は受け難き人身を授けてくれた両親に「私を産んでくれてありがとう」と感謝をしているのです。今ある生命を大切にして一日一日一所懸命生きることが大切です。と、結んでいます。
 新しい年を迎えました。まさしく、今日も日暮らしができていることに感謝ということでしょうか。


● 2019年 12月 18日    〜その想い大切に〜

 私たちは、先祖代々そして父母にいたる縁があっての「いのち」です。
 お葬式という最後の別れの時間と場を通して、故人が向けてくれたこころに「想いをはせ」、その「想いをつづり」、いのちの尊さや絆を想い感じ、あらためて「想いをつなぐ」ことができたならば、こころに残るお別れができたと思えるかもしれません。お葬式は別れの覚悟とその悲しみを癒す場でもあるかもしれません。
「・・・想いは生きている 沢山の人の中で生きている・・・」
 〜その想い大切に〜「くさかや・葬祭会館ベルホール」がお手伝いさせていただきます。
今年も残りわずかとなりました。また新しい年を迎えられることに感謝したいものです。


● 2019年 11月 22日    「御霊前」と「御仏前」

 仏教では、亡くなってから四十九までの間は「霊」として、新しい世界に生まれ変わるための準備をしているのだとか。この世でもあの世でもないこの期間のことを中陰といい、四十九日目を満中陰といって四十九日(満中陰)法要を行います。そして、この中陰期間の満了を以って「霊」から「仏」になると。四十九日目までは「御霊」、中陰の満了を以って「御仏」ということになるのでしょうか。つまり、四十九日の法要までは「御霊前」、その後の法要から「御仏前」になるのだそうです。
 ちなみに、仏教には人の命を4つの段階に分ける「四有(しう)」という考え方があります。1.命を授かったときを「生有(しょうう)」、2.生まれてから死ぬまでの一生を「本有(ほんう)」、3.命を終える瞬間を「死有(しう)」、4.死有から生有までのを間を「中有(ちゅうう)」というそうです。4の中有というのが人が亡くなってからの49日間のことでいわゆる中陰のことです。
 浄土真宗では、亡くなるとすぐに「仏」になるとすることから、通夜葬儀から「御仏前」を用います。この記述内容に不備等ございましたらご容赦ください。詳しくはお寺様などへお尋ねください。


● 2019年 10月 30日    「両家墓」

 寺院、霊園にかかわらず、そのお墓を継承する人が絶えてしまい無縁墓になると、いずれは無縁仏として改葬されます。墓の継承者がいない場合、継承することが出来なくなることが判っている場合などは、墓地の永代使用を断られることがあるかもしれません。
 一人っ子同士の結婚の場合など、女性側の家では墓地を取り墓を建立しても継承し守っていくことが困難になる場合も。このようなケースの場合は、同じ墓地に両家の墓を建立する、また、一つの墓に両家を埋葬し両家の姓を彫る方法など考えられます。このような墓のことを一般に「両家墓」といいます。寺院、霊園いずれにしても、このような埋葬方法が許可してもらえるか事前に調べておくと良いのでしょう。
 また、寺院、霊園の合祀墓や合葬墓などと言われる「永代供養墓」に埋葬する方法もありますが、この場合はお骨の埋葬方法や供養期間・期限、料金などを調べておきましょう。


● 2019年 10月 02日    百か日の法要「卒哭忌(そっこくき)」

四十九日忌明け後の100日目には百か日法要が行われます。土葬の時代は、この100日ごろになると土中の柩も朽ち始め、埋め戻した土はだんだんと沈んできて落ち着く頃なのだとか。100日目にお参りをして土を盛り直し整え供養をしたそうです。
この百か日のことを卒哭忌と言います。「卒」は終える、「哭」は泣き叫ぶというような意味があるそうで、このころになると悲しみ過ごした気持ちも徐々に落ち着いてくることから、少しはその悲しみも癒え新たに歩み始めるための供養なのだとか。
毎朝、故人・先祖代々の霊に手を合わせ、特定の祥月命日には年忌法要を営みます。




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