● 2023年09月15日
お葬式 〜別れの覚悟とその悲しみを癒し〜

 通夜の謂れは、お釈迦様が亡くなったとき、死を悲しむ弟子たちがお釈迦様を偲び、夜通しその教えを語り合ったことに由来するのだそうです。
 私たちにとっては、亡くなられた方との想いで、自分たちに向けてくれたこころに想いをはせ想いをつづり、改めて故人への想いをつなぐ時間なのではないでしょうか。
 お葬式は、家族親戚は勿論、交流のあった方々にとっても別れの覚悟とその悲しみを癒す場でもあるかもしれません。この時この場を通して感情の整理がされていくのでしょう。
 火葬だけで済まされるケースや出棺の前にお香やお花を手向けお別れとし無宗教式での一日だけで済まされるケースなども増えています。
 最近は、どの葬儀社も「火葬式」・「一日葬」・「家族葬」などといった料金プランをメインに打ち出しています。多くの方に見送っていただくか、家族親族だけで見送るのか、また火葬だけで済ますのかは、故人の遺志やご家族それぞれのお考えで良いのでしょう。
 四十九日法要までは慌ただしく過ぎ、百か日、一周忌法要を行い少しは心の整理もつき落ち着いてくるのでしょう。
毎朝仏壇に向かい故人・先祖代々の霊に手を合わせ灯明、香を絶やすことなく見守り過ごします。

● 2023年06月30日
こんな謂れや迷信「四十九日法要」

 亡くなられて七日ごとに行う中陰の供養は四十九日で満中陰となり四十九日(満中陰)法要を行いますね。この期間に、死者が次どこに生まれるかを決める四十九日裁判をするのだそうで、七日ごとの七人の裁判官が決まっているそう。
 生まれ変わるところは、前回掲載の六道のいずれかで、生前に善業を行えば天道・人道へ、悪業を行えば他の四つのどれかに。この中陰の供養は、天道(天人の世界)・人道(人間の世界)へと生まれ変われるよう願うものだとか。どうか地獄などへは行かなくて済みますように。
 このような輪廻や前回掲載した六道・六地蔵など、これら習俗・信仰がどうであるかはともかくとして、何より亡き人に心を寄せてお別れをし供養したいものです。供養とは、亡き人へ想いを手向けることにより、自身のこころをも養うことなのだとか。
 こんな迷信めいた話もあるそう。四十九日は三月(みつき)にまたがると良くないので法要の日にちを早めると。「四十九日」=(始終苦日)、「三月」=(身付き)として、「始終苦日が身に付く」からなんだそう。どんなことで、こんな語呂合わせの話が広まるのでしょう。
 中旬以降に亡くなった場合は三月目になります。月末の場合は三月目の中旬になってしまい、どこに行くかまだ決まっていないのに、半月以上も法要を早めることになります。巷には色々な話があるのですね。
 それはさておき、お寺様にご相談し四十九日直近の都合の良い日に行うのが良いのでしょう。もちろんお寺様もそのように話されるでしょう。
記述内容に不備等ございましたらご容赦ください。

「〜想いをはせる 想いをつづる 想いをつなぐ〜」そんな想いを感じていただけるようお手伝いさせていただきます。

● 2023年06月08日
六文銭・六道・回忌

 善人は橋を渡ることができ、罪の軽い罪人は浅瀬を、罪の重い罪人は深瀬を渡る。このように、生前の行いにより、それぞれの三つの途(みち)があるので三途の川という。平安時代の末期頃までは歩いて渡ったが、室町時代以降からは船になったのだとか。
 この三途の川の渡し賃が六文銭で、死装束の頭陀袋に一文銭を六枚入れたとする習俗。現在では、六文銭を印刷した紙を棺に入れる。この六文銭は、六地蔵への賽銭、また、六道銭とも呼ぶそう。
 人間が生前の業によって死後に輪廻する、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天界のいわゆる六道で苦しむ死者を、地蔵が救済してくれるとする信仰がおこり、墓地の入口などに六体の地蔵(六地蔵)が祀られるようになった。
 ご存じのように、回忌法要は三・七・十三・十七・・・三十三回忌と、「三」と「七」の命日で営まれる。「三」は「二」を超える意味で、苦とか楽、損とか得などと、二つのどちらかに極端に偏らないようにとする仏教でいう「中道」の教え、「七」は、六道の世界を超えたところに悟りの世界があるとする考え方とされ、この二と六を超えた「三」と「七」が重んじられ回忌法要が営まれるようになったのだとか(諸説があるとのこと)。
 地蔵は、輪廻する六道の苦しみから救い、また、祈願をすればいつでもどこへでも救いの手をさしのべ、苦難から人々を救ってくれる菩薩として親しまれ、広く庶民信仰の対象となっていたのだそう。
記述内容に不備等ございましたらご容赦ください。


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