● 2022年06月27日
「七夕」と「七日盆」

 「七夕」は五節句のひとつですね。ご存じのように、本来は旧暦7月7日の行事です。現在は新暦7月又は月遅れ(新暦8月)で行なわれているのが一般的です。
 お盆との関わりもあります。盆の中心の日は15日ですが、地方によっては七日を始まりとする「七日盆」の風習があります。墓掃除や仏壇の掃除をして盆の準備を始めます。関東周辺では麦わらや真菰で、霊を迎える七夕馬を作り盆の準備を始め、新盆の家ではこの日に盆棚を飾るところもあるそうです。キュウリ、ナスで馬、牛を作る風習は全国に見られます。
 七日の夕方の行事から転じて「七夕(しちせき)」に、またタナバタのタナは祭壇である棚、ハタは神を迎える依代(よりしろ)としての旗からきているとも。
 13日から15日(16日)までが盆として一般的になり、また星祭りとして普及したことが、現在の七夕祭りとして独立したとも考えられているそうです。
 ご先祖様代々受け継がれた命があっての今の私たちです。ご先祖様に想いをはせてみましょう。
「〜想いをはせる 想いをつづる 想いをつなぐ〜」 

● 2022年05月13日
ある僧侶の話

「人間に生まるること難し やがて死すべきものの いま生命あるは有難し」
これは、お釈迦さまの教えだそうです。
以下は、ある僧侶が話されていたものです。
 「死」はこの世に生を享受した瞬間より誰しも向き合うべき大きな宿命、昨日あったいのちが今日もあること、それは何よりも奇跡的で有り難いのです。そこに思いが及べば、そのいのちを繋ぎ続けてきた数多くの先祖へ感謝の念が芽生えてきます。
そして、こんな話が続きます。
 生まれつき心臓に疾患を持つA君は、訳あってお祖母ちゃんの手で育てられ、大学にまで進んだのですが、度重なる入退院の繰り返しで已むなく退学しました。そして、地域の市役所を受験し採用されましたが入退院を繰り返していました。
 病院から心臓の弁の取替え手術の話が持ち上がりました。お祖母ちゃんは、A君が幼い頃から幾度もの手術をしているので、何か別の方法をと難色を示したそうですが、A君は「やって欲しい」と伝えたそうです。手術は成功しました。
 間もなくしてからのこと、A君が脳内出血を発症し緊急手術をするという急報です。医師の話では半身の障害、言語にも障害を来すというものでした。自呼吸ができるようになったものの言葉を発することはできないので、動く左手でスマホを操作し、画面を通じて意志の疎通をはかっていたお祖母ちゃんとA君でした。そんな中、程なくしてA君は他界したのです。
 お祖母ちゃんは告別式の挨拶で「皆さんの温かい心に触れ、支えられてきた優しい子、私はあの子の祖母であることを誇りに思い、寂しくてたまりませんがしっかり休んでくれるように願って、大切な孫を私の宝物を見送ります」と、A君との別れをしっかり話しました。29年を生ききったA君、育てきったお祖母ちゃんの悔いも迷いもない別れを目の当たりにしました。という話です。
 お二人の想いはつながっているのでしょう。「〜想いをはせる 想いをつづる 想いをつなぐ〜」きっと、こんな風に。

● 2022年03月03日
コロナ禍にあってU

 先日こんなお別れをされた方がいらっしゃいました。故人は90代半ばの女性、コロナ禍もあって故人の子供さん家族だけの12〜13人でのお別れでした。菩提寺の都合により4日目・5日目での通夜・葬儀となり、亡くなられてからのこの5日間は、悲しみの中にあっても故人の思い出に話が尽きることなく、旅支度などの謂れなども教えていただき、想いをはせることが出来たとおっしゃっておられました。
 祭壇装飾は、故人が大好きだったお花で飾られ、大変喜んでおられました。通夜を終えての食事は、故人が大好きだったというピザをお孫さんたちが宅配で手配し、おばあちゃんは肉も大好きだったね、鰻も大好きだったねと、お孫さんが持ってきた思い出の写真を見ながら、笑顔もある中で偲ぶことが出来たということでした。棺の上には、晩年愛用されていた服と帽子、そして大好きだったという支〇焼を、お孫さんが買ってきてお供えされていました。今生の別れ出棺に際しては、お孫さんの提案ということでしたが、曾孫さんたちも含め全員が故人へのお別れの手紙をお入れし、好きだったお花でいっぱいにしてさしあげました。もちろん、支〇焼もお入れしました。
 想いをはせ、お別れの手紙にこみ上げる想いをつづり、少しは悲しみのこころが癒され別れの覚悟ができ、あらためて想いをつなぐことができたということなのでしょうか。特段のことがなければ、2日目・3日目での通夜・葬儀が一般的ですが、ご遺族にとっては、ただただ慌ただしく3日間が過ぎてしまいますね。葬儀が5日目になったことで、ゆっくりと亡き母を偲び送ることが出来て、悲しいことではありますが、清々しい気持ちになれたと話されていました。


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